ウェブマガジン カムイミンタラ

1998年05月号/第86号  [ずいそう]    

公平
伊藤 たてお (いとう たてお ・ (財)北海道難病連事務局長)

私たちが子供のころ、キャラメルはおやつの王様だった。札幌ではフルヤのキャラメルがいちばん威張っていた。冬になると、ウィンターキャラメルとか、池田のバンビキャラメルとかがあった。僕は森永のミルクキャラメルが嫌いだった。女の子みたいな味がしたのだ。

弟といつも1箱を分けあっていた。1個ずつ交互に配って、絶対に公平だった。

僕は好きなものは全部食べないで、「おやつ箱」に貯えておいて、時々そこから引きだしていた。

弟は好きなものはまずまっ先に食べるのであった。そして、お定まりの騒動になる。私が口に入れると「お兄ちゃんはずるい、公平でない」というのだ。母が説明してもダメで、結局は1個ないし2個は弟に分け与えることになる。

最近、国や行政がよく「公平でない」ということを理由に、とりわけ福祉政策に関してその言葉を用いることが多くなったように思う。たとえば、私たちの「難病」の問題では厚生省がこう言いだした。難病はたくさんあって、今、国が医療費助成をしている40疾患だけではない。癌(がん)や多くの病気の人たちが医療費問題で悩んでいる。だから、今の40疾患の方々への全額医療費助成を改めて、一部負担を導入するのだと。

医療保険も社会保険本人の負担は一割だが、家族は二割だし、国民健康保険は三割負担なのだから、不公平なので、当面、社会保険本人負担を二割にして、やがてすべて三割負担に統一しよう、というのである。

どこか違っているように思えてしかたない。社会保険、社会保障の諸制度というのは、人類の長い歴史の中で少しずつ発展し、積み上げられてきた、いわゆる「成果」なのである。少しでも暮らしを良くしよう、安心して暮らせる社会を実現しよう、多くの人が公平に暮らしていけるようにしよう、さまざまな試行錯誤をくり返し、時には流血まであってつくり上げられてきたものではないか。

もし「公平に」というならば、いかにして不公平と思われる部分を公平な水準にまで引きあげるか、という知恵と努力が必要なのではないだろうか。その努力が人類を発展させてきたのではないだろうか。

水準を引き下げて「公平に」というのは、最も安易な方法であり、政治と行政の堕落としか言いようがない。

努力も発展も希望も未来もないのだ。

さらに最近のニュースでは、専業主婦からの年金加入料を徴収していないのは「不公平」なので、「定額方式」か「夫上乗せ方式」で月額13,300円を徴収したい、とか厚生省が言いだしたとのこと。

じゃあ、今までは何だったかな?

「専業主婦の保険料負担がない」のが不満なのではなく、それぞれの人びとにとって保険料が高いこと、給付額が低いこと、未来への希望を持てないことが不満なのだ。みんなで足をひっぱりあい、社会保障の水準を引き下げようという社会に未来はない。

ところで、私企業であることが国民のだれにも明らかになった今、銀行への30兆円とか、つい昨年の住宅金融のあとしまつの何千億円だのっていうのは公平なのか、不公平なのか。

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