ウェブマガジン カムイミンタラ

1985年05月号/第8号  [ずいそう]    

樹によせて
雨貝 尚子 (あまがい ひさこ ・ 北海道教育大学助教授)

シューベルトの連作歌曲「冬の旅」に「菩提樹」という作品があります。もしあの「菩提樹」が木陰をつくっていなかったなら、恋人たちはどこで語りあうことになりましょうか。もしあの「菩提樹」の近くに、泉が湧き出ていなければ、孤独な魂はどこでその渇きをいやすことができるでしょうか。

わたしどもは、自分の生活を整えるというときには、自分の生活だけを、なにものにもまして快適に、便利にすることを第一とします。そして旧いものを捨てさって新しい、目新しいものを身のまわりに置きます。しかし目新しいのですから、周囲の環境になれてしまうと、もうそれは目立つものではなくなり、さらに新しいものへと触手をのばします。エリマキトカゲから、コアラヘといったようにです。その結果、わたしどもの生活のまわりには、いつのまにか不必要になってしまったものが、たくさん、ほこりをかぶったまま、置かれています。そして、それらが、わたしどもの生活の快適さを阻害しはじめます。

自分の快適さを実現するために必要であったものが、いまではすくなくとも快適さを阻害するものとなって、「うさぎ小屋」といわれた狭い部屋をいっそう狭くしています。

しばし、自分の生活環境だけを整えるための、新しいカタログに手を出すのをやめて、ちょっと、公園の、大きな緑なす樹のもとに出てみませんか。

梢のさやぎは「ここへ来なさい、ここがあなたの安息所だ」と呼びかけています。恋を語ろうとする人々に木陰を与え、さえずって友を呼ぶ小鳥に枝をさしのべています。わたしどもはそんな樹になる苗を植えて、それに水を注いでやりたいものです。

子供たちが、大人になったとき、語り合う恋人を、いやされる憩を、そこで見つけることができるように…。

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