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1994年11月号/第65号  [特集]    上川町

恵み豊かな大雪山の自然を貴重な地元の財産として時代に受け継ぐために地道に、楽しみながら活動
上川町自然科学研究会

  
 日本最大の面積を誇る山岳公園・大雪山が国立公園に指定されたのは1934年(昭和9)12月4日。道内では阿寒国立公園と並んで、今年60周年を迎えました。その玄関口である上川町で、20年にわたって自然のすべてを調査研究しているのが上川町自然科学研究会(成田新太郎会長 郵便078-1763 上川町東町271 電話01658-2-3717)です。会員のほとんどは大雪山の魅力にとりつかれたアマチュアたちですが、地元ならではの学問的な研究に真正面から取り組み、貴重な成果を積み重ねています。

さまざまな職業をもった多彩なメンバーの集団

「うちの会は、ぜいたくなくらい多彩な人材がそろっているんですよ」。

多少、頭髪は薄くなっていますが、額に真っ赤なバンダナをきりりと締め、一刻もじっとしてはいないと思われるほどエネルギッシュな表情で語るのは、会長の成田新太郎さん(66)です。名前と連絡先だけのタイプ刷りの名簿を示しながら、一人ひとりの職業と専門の研究分野を紹介してくれます。

会員は、現在34人。学校の教員が目立ちますが、大学の講師もいます。役場の職員、地元企業のサラリーマン、ユースホステルのペアレント、層雲峡博物館の館長、そして環境庁層雲峡管理官事務所のレンジャーも全員が会員です。女性会員は6人。そのうち夫婦そろってのペア会員が5組います。ところが、地元上川町在住の会員は約半分の16人しかいません。かつては上川町に在住していましたが、札幌圏や旭川、釧路、さらに本州へと転出した会員も多いのです。

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「それらの人たちは、ほとんど脱会しないんですよ。何年も会っていない会員もいますが、忘れないで会費を送ってくるんです」と成田さん。きっと大雪山の雄大な自然の中でテーマを持って調査研究したころの思いが今も持続されていて、研究会とのつながりを大切にしているのだろうと推察しています。

動植物から地質、気象、天体、考古学まで幅広い研究分野

イメージ(毎月の和気あいあいな例会も討論は白熱する)
毎月の和気あいあいな例会も討論は白熱する

会員それぞ札の研究分野も多彩です。昆虫の研究者が数のうえでは多いようですが、蝶を専門にする人、歩行昆虫を専門にする人、さらに蚊を一生懸命に調べている人もいます。植物では、樹木、高山植物をはじめとした草花から、シダ類、キノコなどの菌類を研究する人がいます。女性会員には鳥類を調べる人が多いようです。

イメージ(コマクサ)
コマクサ

当然、動植物の研究だけでは大雪山の自然を解析することはできません。地質を調べる人、気象を調べる人、考古学的調査をする人、さらに天体観測をしている人もいます。そのほか、何でも屋さんとして総合的に上川町内の自然を知ろうとしている人、写真やイラストを担当する人もおり、成田会長が「ぜいたくな人材」というほど、多くの分野を分担しあっています。

山好きな仲間が集まって、早速、浮島湿原を総合調査

イメージ(成田 新太郎会長)
成田 新太郎会長

この研究会が発足したのは、1975年(昭和50)のことでした。成田さんは、当時、上川町立東雲小学校の教師でした。高度経済成長路線をばく進していたわが国は、経済効率最優先の開発を進め、自然破壊などによる公害問題が深刻さを増していました。そして1973年、突然のオイルショックによって反省の機運が起こり、自然の大切さが強く望まれるようになってきた時代でした。そのため「町内の理科の教師たちが寄り合って、町内の子どもたちに自然の恵み、その大切さを教えようということになったのです。ところが、上川の子どもたちは、結構、身のまわりの自然について、くわしいんですよ。そこで、まず自分たちが勉強しよう、ということになったのです」と、成田さんは発足の動機を語ります。

早速、当時の層雲峡博物館館長だった中條(なかじょう)良作さんに相談に行くと「まず自分たちの足もとの自然を見直そう。それには、山好きな連中を集めて、仲間同士でやろうじゃないか」ということになったのです。初期の会員は10人ほどでしたが、それぞれがすでに専門の研究分野を持つ力強い仲間たち、前途洋々の船出でした。

イメージ(中條 良作さん)
中條 良作さん

その年の6月、学術的にも貴重な湿原でありながら、まだじゅうぶんに調査研究が進んでいない「浮島湿原」の総合調査に取り組みました。この浮島湿原は町内最北西部のポンルベシベ川上流、標高約870メートルの地点にある高層湿原。東西約2キロ、南北約300メートルにわたって「へ」の字に曲がった湿原の中に大小70あまりの沼があり、堆積した植物の枯死体の塊が島となって浮いているものです。

そこの測地を成田さんが担当。綿密な実地踏査で、まず地形と水深概図の作成に着手しました。その一方で、会員たちは専門分野を手分けして地質・地史を調べる。陸水と気象、植物、鳥類、昆虫、プランクトンまでも丹念に調べ上げ、翌年2月に調査報告書の第一報を発表しました。大正時代に北海道大学によって学術踏査がおこなわれたことはありますが、その後、これほど総合的な調査はなく、その実態を知るうえで貴重な調査でした。

こうした知られざる地点の総合調査はその後もおこなわれました。石狩川源流、屏風(びょうぶ)岳、安多呂間(あんたろま)川源流、チトカウシ川源流、ニセイカウシュペとつづき、江差牛(えさしうし)山での総合調査ではヒカリゴケの存在を確認するなど、多くの発見もしています。

上川の自然とともに暮らすキノコ研究の成田さん

こうした総合調査のほかに、会員個人の調査研究が活発です。

イメージ(ミヤマオダマキ)
ミヤマオダマキ

イメージ(ギンザンマシコ)
ギンザンマシコ

成田さんの場合、ほんとうは昆虫類が専門なのですが、この研究会では昆虫担当者が多いこともあって、キノコなどの高等菌類を担当してきました。大雪山とのかかわりは、40年あまり前、上川管内の風連町で教師をしていたころに北海道教育委員会の依頼で特別天然記念物の留鳥クマゲラの調査に参加して、すっかりこの山の魅力にとらわれてしまいました。そこで、みずから望んで上川町の学校に転任を申し出たということです。希望がかなって以来すでに25年、文字どおり上川の自然とともに暮らしてきました。

「わたしの研究テーマはキノコ。どんな林の中に、どんなキノコがどのようなサイクルで生えるのかを、長い年月をかけて調査するのが課題です。しかし、それよりもどんな種類のキノコが町の中のどこに、どれほど分布しているかをしっかりおさえておきたいと思って調査しているんです」といいます。

25年間の調査研究で、膨大な数の標本が自宅2階の部屋に収蔵されています。成田さんの目録では、上川町内には583種の高等菌類があるといいます。

「上川町のキノコの特徴としては、温暖な森林帯に生えるものと、寒冷な場所に生えるものが混生していることでしょうね。それだけに、層としては厚いといえます。やはり森林相が豊かなために、木材腐朽菌が多い。半面、アンモニア腐朽菌は少ないという特性がある」といいます。

この地域にも、特殊な生態で知られるキノコ「冬虫夏草(とうちゅうかそう)」があると、自身の手で撮影したスライド写真をスクリーンに映しだしてくれました。見ると、セミの死体の中から生えたキノコです。次々に画像を変えると、バッタ、アブ、アリの死骸の上にすくすくと伸びたキノコたちがいくつも。そこには、生命の驚異を感じないではいられない世界が展開されます。

「ぜんぶ、顕微鏡の世界ですよ」と成田さん。かたわらの机の上には、高価そうな光学顕微鏡が置いてあります。

「じつは、電子顕微鏡と同じくらいの値段なんですよ。買うときはどちらにしようかと、かなり迷いました。しかし、電子顕微鏡は高さが3メートルくらいもあるものだから、住宅の土台から改造しなければならない。そこまですることはないと断念したのですが、やはり今になってみると残念なことをしたと思いますね」。

自分の名前が付いた新種を11種も持つ昆虫の保田さん

「黒岳には、700回以上は登っているだろう」というのは、層雲峡博物館の館長である保田信紀(のぶとし)さん(53)です。広島市出身の保田さんは、子どものころから蝶など虫好きな少年でした。その保田さんが20歳のとき、ウスバキチョウの観察に大雪山を訪れたのが、上川町に永住する契機になりました。

「昆虫の好きな人にとって、ウスバキチョウはシンボル的な、あこがれの蝶ですからね。それが、日本では大雪山にしかいない。初めて生きた姿を目にしたときは、感動でした」。

イメージ(ウスバキチョウ)
ウスバキチョウ

イメージ(ダイセツトリカブト)
ダイセツトリカブト

保田さんは早速、「ウスバキチョウを研究したい」と関係機関に手紙を書きました。すると、ちょうど層雲峡口ープウェイが開通したときで、一般登山客も多くなるので山頂付近のパトロールが必要ということで、大雪山営林署の高山植物パトロール員に採用されました。1967年(昭和42)のことです。それから12年間、山頂付近でのパトロール暮らしでしたが、この間、思う存分、高山蝶や昆虫の観察調査をすることができました。

イメージ(アサヒヒョウモン)
アサヒヒョウモン

イメージ(エゾコザクラ)
エゾコザクラ

大雪山の昆虫はダイセツタカネヒカゲ、アサヒヒョウモン、カラフトルリシジミ、クモマベニヒカゲなどの氷河期の遺存種といわれる蝶をはじめ、クモマエゾトンボなどのトンボ類、歩行性のゾウムシ、ゴミムシなど1200以上の昆虫が確認されているといわれます。なかでも、黄色地に黒斑と赤紋の美しい羽を持つウスバキチョウは、“高山の貴公子”とも呼ばれています。卵で1年、さなぎで1年越冬し、3年目でようやく成虫になります。幼虫は“高山植物の女王”といわれるコマクサだけを食生にし、成虫も自分の姿がもっとも気高く見える太陽の明るい時だけ姿を見せるというロマンを秘めた蝶です。

保田さんは、その後、層雲峡博物館に勤務して16年がたちました。保田さんの仕事は博物館運営の業務と、入館者や自然学習講座の講師など、めっぽう忙しくなっています。しかし、昆虫の現場での昆虫研究は欠かしません。夏のあいだは夜明けとともに山に登り、歩行性の昆虫採集のための仕掛けをしたり、その回収をして、開館までに下山して来る日課をつづけています。

イメージ(層雲峡博物館館長の保田信紀さん)
層雲峡博物館館長の保田信紀さん

「その仕掛けというのは、コップ状のトラップに虫の好む液体を入れて土の中に埋めておくのです。虫はその液体をなめにコップの中に入ってしまうと這い上がれない。そうして捕まえた虫を調べるわけです」。

保田さんが専門の研究テーマにしているのは甲虫やクモの類。昨年、日高山系で1988年に採集したコオロギの仲間の直翅目ヒダカクチウマが新種として発表されました。また、1987年に黒岳で採集したクモの仲間が世界で最初の発見として、一昨年、和名でヤスダフクログモと名付けられました。こうした保田さんの新種発見は活発で、「ヤスダ」の和名が付いた昆虫は11種もあるということです。

それぞれに研究テーマを持ち純粋に学問的な調査活動を

保田さんはプロですが、ほかの会員はみんな別に本業を持っているアマチュアばかりです。しかし、いったん自然のなかに身を置くと、心意気は保田さんにも負けない研究者です。

「それぞれが自分のテーマを、純粋に学問的な立場で調査していますよ」と成田さんはいいます。ですから、夏のあいだの休日はだれもが山へ飛びだして観察や調査活動に情熱を注いています。それぞれに本業をもっているため、全員がそろっての総合調査は、そうたびたびおこなえません。それを補完するのが、それぞれの個人調査です。

そのテリトリーは、大雪山や町内だけにとどまりません。利尻山、暑寒別岳、羊蹄山、阿寒連山、道内のどの山もみんな研究対象のフイールドです。

「とくに分布調査をするときは、大雪山だけを調べていても押さえられない。点を線で結び、面をつくっていく作業をしなければならないのです」と成田さん。

しかも、アマチュアの研究活動は自由です。状況に応じて、思うままに研究の範囲広げていきます。

蝶を研究している野田佳之さんと順子さんは夫婦会員。昨年12月から今年1月まで、夫婦そろってアマゾンのジャングルで蝶の研究をしてきました。アマゾンヘは2年つづけての調査旅行だといいます。蝶の楽園であるフィリピン、シンガポールなど、東南アジアヘも足を伸ばしています。

イメージ(野田 順子さん)
野田 順子さん

「夏のあいだは大雪山や道内の山で研究できますから、海外に行くのは南半球の国が多くなります」と野田順子さんは話します。大雪山に生息するのは北方系の蝶。赤道付近の蝶を調べることによって、その比較をはじめ、蝶そのものの研究の幅をいっそう広げ、深いものにしています。

研究報告の例会は熱を帯び討論を通じて高めあう

そうした研究成果は、毎月第3土曜日に開く例会で発表しあいます。1回の発表者は2、3人。当番制になっているといいます。したがって、会員1人の発表の機会は年に1回。発表する人も、聞き入る人も真剣です。

「だから、例会はいつも熱がこもっています。専門分野はバラバラですから、発表内容は専門外のことばかりですが、みんな黙ってはいませんよ。分類のしかたが違うとか、染色体の調べ方が足りない。はては発表のしかた、スライドの作り方が下手だなどと言い出すこともあります」。

しかし、ひとつの生物体分布を発見したことを報告したりすると、その場所の土壌はこうだと地質担当の人が補足する。植生については植物担当者が、気象担当者が気象条件などの見解を述べて、総合的な討論になります。

「20年も継続していると、必然的に自分の分野の他にも目がひらけてきます。例会での討論を通じて相互に高めあい、総合的な自然科学としてさらに自分の専門的な研究のベースをつくっていく」と成田さん。それは、この研究会の性格と目的でもあるのです。

研究成果は会誌に投稿し、図鑑やハンドブックも発行

イメージ(研究成果が凝縮された会誌や刊行物)
研究成果が凝縮された会誌や刊行物

研究活動の成果は、1年に1回発行する『上川町の自然』という会誌に報告しあいます。200ページちかい紙数の中に、毎号10人以上の会員が報告や論文を発表しあっています。現在、第17集まで発行され、会員たちは、この会誌に投稿するのをなによりの楽しみにしています。また『浮島湿原総合調査報告書』、『上川町の生物目録』など単独の調査報告書も数多く発行し、学会などからも貴重な研究報告として高く評価されているものです。

また、蓄積された研究成果を一般の人にも読んでもらおうと『上川町の自然図鑑―植物・菌類編』を刊行し、近く『動物編』も刊行される予定です。ガイドブックでは『大雪山国立公園・自然観察ガイド』、新しいところでは『大雪山自然ハンドブック』が自由国民社から刊行されました。これは、大雪山の成り立ちから、気象、生息する動植物、登山コースのガイドなどをわかりやすく解説した手引書となっています。

蓄積したデータは山ほどあります。しかし、アマチュアグループの活動の泣きどころは資金難です。年1回の会誌を発行するにも数10万円から100万円を大きく超える費用がかかります。会員の年会費は5000円。集まる会費は20万円にも満たない金額です。調査活動も、みんな手弁当でおこなっており、毎月の例会の費用もそのつど徴収して開く状況です。

それでも、最近は自然学習、生涯学習ブームのおかげで、町内外からの講座の講師依頼が増えました。成田さんや保田さんをはじめ、手の空いた会員が手分けして講師に奔走し、その謝礼などを預金して印刷代にあてるという苦しい財政事情です。

「わたしの手帳のカレンダーは、真っ黒です。きっと、みんなの手帳もそうだと思いますよ」と成田さん。

上川町教育委員会の社会教育課とタイアップして、少年自然教室、町民の各種自然観察講座、自然監察員の養成講座などへの講師派遣は、この研究会の出番です。

「自然にかかわることなら、ほかの町村ではやれないことでも、この町では簡単にできる。それほど人材が豊富ですよ」と、成田さんは胸を張ります。

アマチュアとプロとが相互に補完しあう共同研究を

上川町自然科学研究会は、たしかにアマチュアグループです。

「しかし、アマチュアだからレベルの低い仕事しかできないと思うのは間違いです」と保田さんは話します。

イメージ(ヒグマ)
ヒグマ

「どの分野にも、アマチュアにしかできない世界がたくさんあります。とくに昆虫の世界は、アマチュアのほうが圧倒的にすぐれた成果を上げているといっても過言ではありません。プロとアマの違いはどこかといえぱ、直接その仕事でメシを食っているかどうかの差だけです。むしろ、プロのほうは分業化がすすんでいて忙しい。昆虫の場合でも一つのグループだけしか研究できないでいるのが現状です。その点、アマチュアは選択が自由です。ですから、プロとアマの差など意識せずに、さらにくわしく研究している人が現場にはたくさんいるのです。私たちも北海道大学の昆虫学研究室などと交流していますが、プロとアマとか結ばれて、さらに研究を深めていくことがだいじ」と強調します。地方にいるアマチュアは、情報の入手が遅れがちです。一方、研究室などにいるプロのほうは現場の情報の入手が遅れる。そこを相互に補完しあい、利用しあって共同研究をしていくのが望ましい姿だというわけです。

そうした活動成果が認められて、1992年には第百生命フレンドシップ財団から助成団体に選ばれました。また同じ年には前田一歩園賞を受賞しました。北海道教育委員会からも感謝状、上川町文化賞も贈られています。

まだ活動途上、協力しあい、息長くデータを蓄積していく

イメージ(細心の注意力で調査活動は行われる)
細心の注意力で調査活動は行われる

「わたしたちの会は、まだまだ活動途上です。この自然の恵み豊かな地域に住んでいる者として、貴重な“大雪山の財産目録”をしっかり作成して、次代に受け継いでいかなければならないと思っています。大雪山の自然は、まだ未知のことが多いので、基礎的なデータをみんなの力で積み重ねていこう、それが会員共通の目標です」と成田さんは語ります。

しかし気負いはなく、なによりも山大好き人間の集まりです。そして、よりくわしく観察、調査したなかから自然のすばらしさを語り合う、それがなによりも楽しみな会だということです。

その会員が、今、楽しみにしているのが、世界最高峰のエベレストがそびえるネパールのサガルマータ国立公園に行くこと。年明けにネパールの自然と文化をたずねて、またひとつ視野を広げます。

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