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1984年11月号/第5号  [ずいそう]    

快適な居住環境
吉崎 昌一 (よしざき しょういち)

最近、道内の自治体から相次いで地域の将来計画策定に関する意見を聞かれた。いわゆる都市計画は、私にとっては専門外の分野、とくに経済効果がらみになると手も足もでない。それで自治体の担当者に、その地域でどんな将来計画が検討されているか、逆に聞いてみた。ところが驚いたことに、まったく無関係の複数の自治体の検討計画が、判で押したように同じパターンなのである。いわく、工業とハイテク産業を誘致し、かつ研究学園都市の建設を促進する、というのだ。いわば、いま流行のテクノポリス構想のミニ版と思っていただければよい。担当者に『水』の供給量についての計画はいかがでしょう…と質問すると、隣接市町村にダムの計画がありますので、というところまでよく似ている。目をかがやかせて自分の町の未来計画を語る若いスタッフを非難するのではないが、人間そのものを研究対象としている私としては、こうした計画にちょっと不満である。

まず、これらの計画はあまりにも経済が主流になりすぎてはしまいか。なにが人間にとって幸福で、かつ快適なのだろうか…。そのあたりの哲学が、あまりにもなさすぎるように思うのである。

北海道は、日本の他の地域に比べて、たしかに自然環境がよく残っている。あと10年もすれば、その自然環境がきわめて高く評価されることはうけあってもいい。だが、私たちの周囲には、この自然環境になれきっているため、その重要性や有効性に気づかず、美しい山野をいともあっさりと俗悪に開発したり、ゴルフ場にかえてしまったケースがあまりにも多い。いったい、事業にたずさわる人びとは、ゴルフ場が自然保護にとってどのくらい悪影響をもたらしているか考えてみたことがあるだろうか。グリーンだから自然なのではないことを、もうそろそろ意識する必要がありそうである。

きれいな水の流れ、さわやかな緑、こうした快適な環境にたいして、経済最優先で自分本位に走りつづけた汚れた都市人類が、その保全のために多額の経費を支出する必要がある…と考えるのは、現代ではもはや無謀な発想とはいえないであろう。

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