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1984年11月号/第5号  [ずいそう]    

信楽へ
橋場 文俊 (はしば ふみとし)

先日、京都に所用で出かけたとき、日本六古窯の1つといわれている信楽を訪ねた。数回訪ねていろいろ話をかわした高橋楽斉さんを、再度訪ねたいと思っていたからである。陶器好きの私が、すっかり楽斉さんの人柄にほれこんだことによるのかもしれない。

茶道の世界でも、信楽はもてはやされている、その理由の1つに、極めてシンプルな素朴な焼きものであることが、ワビ・サビの世界にうけているのだろう。

京都からの道は、やがて国道をはずれて山道に入ると、新緑につつまれていた。曲がりくねった道がつづき、小鳥のさえづりさえきこえ、さわやかな風が窓からふきこんできた。この道は、かつては京への荷物を運搬した道であったろう。山をおりて、小さな盆地の一角に信楽はある。

楽斉さんのところには、6つの部屋をもつ大きな登窯が1つと、半地上式の穴窯とよばれるものが1つ、それとひとつだけの部屋をもつ窯が1つと、3つの窯がある。前回訪ねたときはちょうど窯出しの日であったが、今回はもう窯出しも終わっていた。

簡単なあいさつが終わって、作品を手にしながら話がはずんだ。

“自分たちの仕事は、よい作品をつくることであり、その仕事自体が、自分たちの全精力をつぎこんだものでなくてはならない。1から10まで全部自分でやるところに、信楽としての作品の意味があるのではないかと思う”

そっと手をみせてくれた。ささくれだった指がそこにあった。

“陶芸自体、たいへん地味な仕事なので、自分のなっとくのいくものをつくっていくことが大切だし、そのつくった作品が多くの人たちに、いとしまれるようなものでありたいと願っている。”

楽斉さんとの会話は熱っぽく続いた。おいしいお茶を飲みながらの話はつきることがないように思えた。

この70歳を越えた老人のどこに、この激しい情熱がひそんでいるのだろう。目は輝いて、体全体が精気にみちている感じであった。これほどに仕事を愛し、仕事に自信をもっている陶工がいる限り、この信楽の里は、よい仕事を残して、次の世代にうけつがれていくだろうと思った。

2.3時間の対話だったが、帰路、訪ねてよかったなあとしみじみ思った。

私の部屋の一隅に、楽斉さんのつくった今年の干支の焼きものがある。正月に贈られたものである。その作品をみるたびに、楽斉さんの言葉が聞えてくるような気がする。

元気で、もっともっとよい仕事を残してほしい人である。

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