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1990年03月号/第37号  [ずいそう]    

北海道'90年代アウトドアのメッカとして
五十嵐 智嘉子 (いがらし ちかこ ・ (社)北海道開発問題研究調査会調査部長)

1990年の年が明けて、日本国じゅうが寒波に被われた。地球の温暖化もまだまだ本格化していないな、などと呑気なことを考えていたら、ニセコの2つのスキー場で雪崩による事故が発生したとのニュースが伝えられた。場所はゲレンデからはずれた滑降禁止の斜面だったという。

このニュースを聞いて、5年前の2月、奥手稲小屋からの帰途に雪崩に巻き込まれた先輩の悲報が伝えられた時のことを思い出した。奥手稲小屋は北大ワンダーフォーゲル部が管理しており、先輩も私も部員として毎年、なんども通ったところである。地図がなくともルートは暗じており、危険な時期と場所もよく心得ていた。捜索は一昼夜続いたが、残念ながら遺体で発見されたのである。先輩は1人で冬山ビバーグ訓練をするなど、常に新しいことに取り組むチャレンジ精神旺盛な女性であった。が、雪崩による事故はほとんどすべてが人為的なものだといわれており、チャレンジ精神も一歩間違えると大事につながることを思い知らされた事故でもあった。

スポーツのなかでも、大自然を相手とするアウトドアスポーツは冒険的な要素を色濃く持っている。かの故植村直巳氏は、単なる冒険ではない科学的根拠に基づく活動が探検であるとし、自ら学びつつ、その精神を若い人たちに伝えた魅力的な人物だった。100%安全な冒険・探検はあり得ないが、大自然の中ではあらゆる情報を基に判断し、行動すべきことを身をもって示していた。

日本でもスキーをはじめ、さまざまなアウトドアスポーツがおこなわれているが、その魅力は技術の向上によって達成感が得られることと、冒険的なステップヘの挑戦によって精神の高揚感が得られることにある。しかし、日本では冒険精神を正しく伝える仕組みが整っていないのが現状である。北海道は、日本で唯一雄大な自然を残すところとして、今後も自然体験を目的とするダイナミックな活動が展開されるだろう。真にアウトドアのメッカとなるために、活動の安全性を高める対策を講ずるとともに、正しい知識と豊かな人間性をそなえたインストラクターやガイドを育成し、多くの人が自然と触れ合える仕組みを確立することを望みたい。

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