ウェブマガジン カムイミンタラ

1984年07月号/第3号  [特集]    富良野

森とともに生き 森から学んだンダ やがて暗く深い森にするためにネ
富良野・東大演習林

  
 樹を仰ぎみで樹幹にふれる時、300年、400年と寡黙に夏冬を重ねてきた力強さを感じる。そんな樹が生まれ、枯れて、また甦るのが森。
 森と人間が共に生きることを理想に抱き続ける人々がいる。自らをどろ亀さんと呼ぶ高橋延清さんもその1人。東大演習林で36年間、もくもくとササを刈り、木を切って植えてきた。
 樹と対話し、そこから学び、やがて森がさらに美しく、豊かに生き続ける術を見つけた。

自称どろ亀、ひたすら目標に向かってコツコツと

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東大の演習林は、富良野の山部(やまべ)という所にあってね、明治32年に創立されて以来、林学の教育や、主に研究の場として利用されとる。広さは野幌森林公園の11倍で、約23,000ヘクタールの中にトドマツさんやエゾマツさんをはじめ、ナラノキさん、カンバさんたちもすくすく育ってるよ。

どろ亀さんと自称するようになったのはもう20年くらい前からだなあ。お酒が好きで、要領が悪くて、かっこよく立ちまわれないから。しかし、目標に向かったらコツコつやっていくというのもあるんだよ。高橋延清と名前をいってもさっぱりだけど、どろ亀といえば知ってる。帽子がぶっていると亀さんそっくりだしね。(笑)

延清という名前は、僕が育った岩手県の沢内村にあるお寺の初代住職の名前なんだ。まあ、坊さんになりそこねて、旧制の黒沢尻中学から弘前高等学校、東京大学の林学へと進んだわけだが、なにしろ南部弁まるだしで育ったもんだから、東京にいたって話しができないんだよ。いろいろ物笑いの種になったり、発音をまちがえたりでさ。電話にしたって早口で言うから、わけがわからない。こりゃ、東京じゃ育たないと思って、大学の演習林があるっていう北海道の富良野に来たわけ。こっちへきてやれやれと思ったさ。

知識だけじゃだめなんだ。耳をすますと、森が教えてくれた。

私が富良野に赴任したのは昭和13年で、その頃は天然林から良い木を伐採して、利用する時代だった。まあ、東大演習林も営林署とそう変わらない伐木造材が主な仕事であったわけさ。ただ、どうも切りだした山の活力がだんだん衰えて悪くなっていくんですね。良い木だけ切っていくもんだから悪い木ばかりが残っていく。これは何とかひとつ、未来に向って森林の能力、活力が発展していくような方法がないものかなということに関心を持ったわけですよ。

それで、いろいろ実験をしたんだ、本当は。まあ、どろ亀さんなりにねぇ。ドイツ流林学を習いましたからね。ところが、これがさっぱり発展しなくて、わからなくなったんですよ。そして、戦争などもありまして15年がたってしまった。

私はね、本をあまり読まないタチだったけど、本や学校で教わった知識で森を動かしていこう、作業をしていこうと実験をやった。知識でやって、みんな失敗して森林にそっぽむかれたわけだ。森は発展していかなかったんだから。それで結局、いろいろ観察してみると、すべて自然が実験をしているんですよ。自然が営んでくださってるわけだ。だから、自然からみんな教わったんですよ。森から。このようにすればいい、あのようにすればいいということをね。

森はいつか混交林になる。これが基本型なんだ。

森林には小さな単位がある。樹種や木の大小、下草の状態などの林の構造だね、そういうものをひとつの単位として、その林分がどういう方向に動いていこうとしているのかを考えて、その方向にわずかに手をかしてやるということが天然林を育てていくのに1番いい方法だな、ということに気がついたんだよ。これが、林分施業法のはじまり。

天然林の中はまあ、たいへん複雑でいろんな林分に分かれていてね。山へ行くと一面ササばかりのとこがあるでしょ。もう片方には針葉樹のエゾマツ、トドマツばかりで、別な所は広葉樹のナラ、イタヤばかりとか、いろんな林分がある。だけど、それは300年とか400年という超時間的な単位で考えると、皆同じものなんだと。それらが入れかわってぐるぐる回っているだけで、いつの間にか混交林になる。大、中、小の木がある多層林が基準で、あらゆる林分がその基準に向かっていっているということなんだ。そして、これが北海道の原生林における基本型なんです。

例えば、ここにどろ亀さんがいますね。どろ亀さんがいま、このように話していたり、横になっていたり、1杯飲んでいたりしていてもどろ亀さんにはかわりがないわけで同じことなんだと。哲学的にいいますとね。ま、そんなことに気がついて……。

あくまでも自然が主で人間は従、このバランスが大切

森には木材を生産するという能力と、環境を保全する能力がある。一層林よりも大、中、小の木がある多層林の方が総合能力をもっているんだ、長い目でみると。そして多層林の場合には生物層も非常に多いわけだ。いわゆる生態系が複雑になってい驕Bだから非常に丈夫だということなんだな。

もうひとつ、森には美がある。美とはなにか、というとバランスがとれてることさ。人間が働きかけて、作業するということは、自然と関わりあって美をつくるということなんだね。人間が関与しすぎて、悪くなることだってあるんだから。人間と自然とのバランスも必要なんだ。つまり、いろんな生き物、鳥も獣もたくさん住んでて、人間の心に安定感を与えてくれる、このように調和がとれていることが大事。美を求めていけば、結局、バランスのとれてる森が理想の森だし、最高の能力を持続できるものということだ。哲学的にいうとね、森林の創造美は、自然が主で、人間が従になってつくっていくもんなんだ。

自然の力を最大限に生かしてやると やがて深くて暗い森になる。

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そして、そのような森を極盛相の一歩前でストップさせて、活力ある森にするわけだ。この極盛相という森林は、最終的に安定した状態で、最上層の大木は人間でいえばもう90歳、100歳以上で、活力がないんだね。木材を生みだす力が衰えてて、自分が生きていくのがやっとなんだ。極盛相の代表ともいえる原生林では、成長するものと枯れていくものが同じで、赤字にも黒字にもならないゼロの経営みたいなものなんです。だから、そうならないうちに能力のない木はスパッスパッと切っちまう。すると、良い木がどんどん成長して、活力もでて、成長量も増えていくというわけ。このように、森がゆっくり回転している中でね、人間がおのおのの林分の姿を理想型に向かうように手助けをしてやるということが作業なんだ。

例えば、ササはそのままにしておくと60年か90年くらい枯れないから、いつまでたっても木がはえてこない。せっかく種がおちても、みんなササの下になるからね。それでササを刈ったり、枯したり、整理するわけ。つまり回転を早めるということが作業なんですよ。森林はゆっくり回転しているから、それに合わせてあまり人間が干渉しすぎないように、ゆっくりやる。

森というものは、余りに人間が急いで接したならば、そのもっている本来の能力をみんな殺してしまうんですね。ただ木をたくさん植えたら、いい森になるというものでもない。

だから林分施業法が完成してくると、未来はあんまり、木を植えることはないものなんだ。自然の力を最大限に生かして使うから。植えるにしても、ちょこちょこっとわずかに植えればいい。将来、1回植えたらもう植えなくてもいいようにね。森はみんな、いつか深い森になる。ササが少なくて、若い木、老いた木がある深くて暗い森にね。みんなそのようになれるんです。そうするとものすごい能力を発揮するんですよ。

なんといっても森林は人間がつくるわけじゃない。太陽エネルギーや土壌、水分、いろんな生き物が関わりあって、物質を循環させて樹木は毎年大きくなっていく、ということになっていくのだ。

東大演習林で一生懸命実験や研究をしているのは、森林のもっている能力や天然林の能力に人間が手を加えて、最高の能力を発揮できる大森林にするというのが目的なんです。森にどの程度の能力がでてくるものなのか、それを求めているのです。

樹海は台風の被害で重傷を負ってね、涙がでたよ。

昭和28年頃、この考え方が固まって以後、東大演習林の樹海はおどろくべき発展をしましたよ。ところが残念なことに、昭和56年に台風の直撃を受けたんですね。洞爺丸台風の時も北海道全域の被害は相当、大きかったけども、56年の台風は、地域的に直撃したわけ。まともに被害をうけて樹海は重傷になったんです。大面積に倒れた所があってね。ざっと面積で30パーセント、量で数十万立方メートルの風倒木だった。知っているあの木もこの木も、みんな倒れてしまったんだ。

仲間たちと理想の森をめざして数十年、取り組んできたのに、樹木たちは真二つに裂けてたり、折重なって倒れていたりね。もう、がっかりして悲しくて涙もでたよ。何度も雨宿りした恩師のエゾマツさんもこの時、倒れたんだ。その夜は1人で森を歩き回ったよ。倒れた木にお見舞いやお別れをいいたくて。いっぽん、いっぽん10年、20年という長いおつきあいをしてたからね、本当に悲しかった。山小屋に帰って焼酎を飲みながら、その時の心境をたくさんのメモにした。もう夢遊病者みたいだった。

もと通りになるのには50年の歳月が必要だなあ。すくなくともまあ、半世紀もあればまた。しかし、大きな台風ってのはしょっちゅう定期的にくる。これも自然現象のひとつだし。でもね、樹海の生命力は大きいし、仲間たちの理想や愛も大きい。じっくり時が経てば、また再び美しい大森林になってくれるよ。

これからは森の中で仲間たちと暮していくんだ

この10年間、いろんな仕事で忙しかったけれども、今がね、僕の最大の喜びだ。非常に気が軽くなってこれからだと思ってる。これから、どろ亀さんは一生締くくりの仕事をやっていくんだ。

どろ亀さんは森の中にいって生活してね、とノかく自然の中におればいいんですよ。おれば皆友達がやってくるんだ、それが生きてくるんだ。森の世界というのは宝の山なんだ、不思議な。そういう森の世界を一般の皆さんに紹介してね、少しでも役にたちたいと思っている。

どろ亀先生と富良野の森を歩くことができた。初夏の森は若緑にあふれ、常緑樹の針葉すらすがすがしく感じる。巨木の根元にむす苔、しなやかな若木、はっとするほど白い樹皮、ぬかるんだ道にはエゾシカの足跡。なるほど、森の中は別世界である。

「あのへんはネ、20年前に植林したとこ。こっちは昔、山火事があったとこ。」と右へ左へと動く指先が忙しい。それでも「森のことは少ししか知らない」と先生はいう。それほど森の中では、驚かされることが多いそうだ。

通称、ウグイス谷へ着くと「うお~い、ここだ、ここだ。」とウグイスたちと挨拶をかわし、小さなトドマツの木を見れば、「元気そうだナ」とうなづく先生は、まさに森の人である。もう30年近く、どろ亀先生の背にあるという、なんども繕われ、それでも森に行きたいとせがむリュックが先生の人柄を語っていた。

この号が発行される頃、“書くこと”の嫌いな先生が“散らしたメモ”を集めた本が出版される。自然、森、そこに生きる仲間たちとのエピソードが、独特の口調で生き生きと描かれているこの本を読むと続編を期待したくなる。きっと誰もが森に憧れるに違いない。(N)

(高橋延清著「樹海に生きて―どろ亀さんと森の仲間たち―」は、朝日新聞社刊、1,200円)

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高橋延清氏(たかはし・のぶきよ)
1914年(大正3年)岩手県生まれ。東京大学農学部を卒業後、東大北海道演習林へ。32年間、林長を勤める。東大名誉教授。北海道新聞文化賞(科学技術部門)受賞。
1983年(昭和58)第1回朝日森林文化賞受賞。

富良野・東大演習林

北海道富良野市山部町に、北方林業、林学の教育、研究を目的として、1899年(明治32)に創立された総面積22,890ヘクタールの大森林で、正式名称は東京大学農学部附属北海道演習林。

東北端に林内最高峰の大麓山(1,459メートル)をいただき、東西20キロ、南北16キロに広がる、この世界でも有数の美林は、森林植物帯では、温帯北部から亜寒帯南部に属している。 主な樹種はトドマツ、エゾマツ、アカエゾマツ、ミズナラ、シナノキ、ウダイカンバ、ダケカンバ、イタヤカエデ等をはじめ約40種を数え、野生植物は106科、372種、114変種におよんでおり、その数は数百万本といわれている。

また、天然林は全体の85パーセントを占め、他に各種の学術参考林、試験林、保存林、森林植物保護区、植木園等があり、森林全体を109の林分に分け、林分施業法の実践と共に、各種の調査、研究が続けられている。この広大な演習林の中には、680キロに及ぶ林道が設けられており、標高差や土壌の変化などによって樹種が異なっているのが一目瞭然と見える場所もある。

富良野といえば

遠くに十勝連峰、芦別岳を望み、ゆるやかな丘陵に広がる緑いろ。芽ばえの緑、濃い緑、咲く花まじりの緑とさまざま。ここ、あそこに見える赤いトタン屋根がよく似合う。北海道の日だまりともいえるこの盆地は、豊かな農産物に恵まれた田園地帯である。

北海道のへそ
富良野市は北緯43度24分、東経142度16分にあり、ちょうど北海道の真中に位置しています。これは1909年~1910年(明治42~43年)にわたり、京大教授の山本一清工学博士(天文学)ら一行が星座観測を行い、北海道の中心標として建立されたのがこの「北海道中央経緯度観測標」。国道38号線沿いの富良野小学校の校庭(中心標公園)にあり、市の文化財に指定し、保護しています。
また、このへその街にあやかって、毎年7月28、29日にユーモラスな図腹踊りやへそ踊りで有名な「北海へそ祭り」が開催されています。

樹海碑
東大演習林を眺望するのに絶好の場所があります。それは、富良野市山部から国道38号線を帯広方向に向かって、20キロ近く進んだ所にある樹海峠。左手に樹海碑があり、すぐわかります。樹海が視界いっぱいに広がり、遠く、近くにエゾマツ・トドマツ等の針葉樹、ミズナラ・シナノキなどの広葉樹のとりどりの緑が鮮やかです。
樹海碑は北海道開基100年を記念して、建設されたもので、碑の表には高橋延清氏書による「樹海」という2文字が彫り込まれ、裏には建立者として「自然を愛する人々」とあるところに、この碑に対する思い、願いがこめられているようです。

ワイン
富良野地方は内陸性気候のため、年間温度差が60度もあり、日中と夜の温度差が大きい所です。これは果物の甘みがでる最高の気候風土で、この地の利を生かして葡萄やメロン、スイカなどの果物が作られています。富良野ワインはこの良質の葡萄、セイベル種を専用品種として、年間30万本が生産されています。小高い丘の上にはワインハウスやフラノ・ワィナリーがあり、製造過程などを見学することができます。

ラヴェンダー
富良野地方の各所に点在していますが、特に中富良野のラヴェンダー畑が有名です。ローマ時代から入浴時の香料として用いられてきたというこの花は香水や石鹸、ポプリなどの原料となります。7月下旬からの開花シーズンともなると、ゆるやかな丘陵には緑色の畑作物の間に青紫色が広がり、ラヴェンダーの花は風にゆられ、豊かな芳香を漂よわせます。

スキー場
冬の富良野といえば、スキーの街。富良野スキー場は、その素晴らしい眺望と変化に富んだダイナミックなスロープ、雪質の良さで定評があります。国内でも屈指のスキー場として、F・I・Sワールドカップをはじめとした大規模な競技大会の開催地として実績を誇っています。

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