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1986年07月号/第15号  [ずいそう]    

夢の中のフルート
細川 順三 (ほそかわ じゅんぞう ・ 札響首席フルート奏者)

ビルの屋上のビアガーデンがにぎわうころになると、札響野外コンサートのシーズン到来である。今年もまた、道内各地の緑の美しい場所を選んで「グリーンコンサート」が催される。

私は、野外コンサートで演奏することが好きだ。しかし、野外は演奏する側からすると、実はあまり幸福な環境とはいえない。仮設ステージの中の音響はよくないし、強い陽射しは楽器を傷めつける。からだにはさわやかな風も、楽譜をとんでもない時にめくってしまういたずらをしでかすし、途中から雨でも降り出せば、これはもう聴衆にとっても楽員にとっても最悪である。しかし、日ごろ街のホールで演奏している曲も、野外の晴天の下に持ち出してみると、いつもと違い、なんと自然に、新鮮に響いてくることか。野外こそが、音楽の最適な居場所ではないかとさえ思えてくることがある。ステージで演奏しながら、美しい山なみが望めたり、森に囲まれたりすれば、なおいい。

数年前、夕張市石炭の歴史村に立派な野外ステージができて、札響も一昨年、昨年と続けて訪れているが、私はこの会場がことのほか好きである。というのは、野外としては設備が整っているから、立派だから、というわけではない。すりばち状になった芝生の背後に、1本の巨大なポプラがもえ立つようにそびえていて、ステージで笛をふいていると、おのずとそれが目に飛び込んでくるからである。オーケストラの音は、あたかもその巨木に吸い寄せられ、ポプラのつくり出す上昇気流に乗って空中に散らばっていくようである。抜けるような碧い空に、薫風に輝きつつ消えてゆく梢(こずえ)のあたりを見ながら、子どものころ感激した想い出のあるエルガーの行進曲「威風堂々」の中間部など吹いていると、自然と人間との幸福な共存の在り方など、たくまずして答えが見えてくるような気さえする。

現代のフルートは、木管楽器とはいっても木ではなく、たいてい金か銀の金属でつくられるようになってしまった。木でつくるよりも、大きくて輝かしい音が出るし、息に対する反応がよいからだ。何年か前、私は木のフルートの夢を見た。カナダでフルートに最適の木材が見つかり、楽器屋が最上のフルートを造ってくれるという。早速吹いてみると、流れるような透明な音がした。草原にも、山々にも、空にも、人の心にも、どこにでも染み通っていくような音だった。夢の中で感激の涙をこぼした。

それ以来、私はフルートには木がいいと思い込んでいる。楽器屋に造ってくれるようにしきりと頼むのだが、技術的に困難なことが多く、また営業的にも採算がとれないとかで請け合ってくれない。あの夢のフルートがあったなら、私の音をもっとうまくあのポプラの気流に乗せて、天空高く届かせることができるような気がしてならない。

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