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1986年03月号/第13号  [ずいそう]    

わが層雲峡
河邨 文一郎 (かわむらぶんいちろう ・ 詩人)

私の知る限りの景勝地のなかで最も美しいと思う一つは層雲峡だが、訪れるたびにいつも胸が痛むのもまた、ここである。

学生のころ私はよく、温泉を出て徒歩で渓谷の道を、水ゆたかな石狩川の流れを右手にして登った。頭上に天柱峰を仰いで感動し、やがて大函にたどりついて林間に座るとき、神々の庭とはまさにここだと痛感した。

いまではその道は留辺蘂―北見へと通じる産業道路に変わった。流星や銀河の滝を眺めるにも、道傍の空地にトラックやバスを避けながら気ぜわしく立たねばならないし、石狩川の水もみじめなほど痩せ、恥じらうように林の陰に身をかくしてしまった。

先年、アメリカのヨセミテ国立公園で、天城岩や羽衣岩そっくりな紋理の岩を見た。氷河が削りとったこの大渓谷には、川に沿って広い平地がある。幹線道路には車も走っているが、一番有難かったのは貸自転車だった。無数の枝道に乗り入れて半日を草原や原始林を満喫し、はては川岸の釣り人のそばに座り、低く語り合いながら落日を迎えた。その夜は原始林のなかの小さなコテージに眠ったが、その昼も夜も思い比べたのが、わが愛する層雲峡のことだった。

こんにち、層雲峡温泉は黒岳の雄大な景観を加え、わが国有数の観光地として健在だが、肝心の渓谷がいまのままではしようがない。開発と自然破壊などと、大上段にふりかぶるつもりもないけれど、せっかくの無比の景観が、車の窓から眺め過ぎる「沿道の景色」に成り下がっているのはやりきれない。

この渓谷を迂回する別の産業道路は開発できないか。ちっぽけな大函ダムに代わるものは考えられないか。図体のばかでかい鈍感なトラックたちを軽快な自転車の列に変え、石狩川のせせらぎで林間を満たすことはできないか。日本も豊かになった。いつまでも大団体のバス・ツアーばかりでもあるまい。少人数や独りの旅人にも心にしみる層雲峡は戻ってこないか。

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