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2003年03月号/第115号  [ずいそう]    

もう1つの夢
西村 英樹 (にしむら ひでき ・ フリー編集者)

4年前、「夢のサムライ」という本を上梓した。サブタイトルは「北海道にビールの始まりをつくった男=村橋久成」。明治9年(1876)、札幌に誕生した開拓使麦酒醸造所にまつわる物語である。

ビールは農産加工品である。開拓使には2つの野望があった。

1つは、北海道の農業振興である。幕末、薩摩藩がイギリスに派遣した留学生の1人だった村橋は、「世界の工場」といわれたイギリスで近代的な農業を目の当たりにした。維新後、開拓使に招かれてからは「勧業」(=産業振興)畑を歩んだ。北海道を農業の大地に変えるのが村橋の夢であり開拓使の夢だった。北海道の冷涼な気候は麦の栽培にもビール醸造にも最適だった。

もう1つは、ビールの輸出による外貨獲得である。ビールの付加価値は高かった。明治10年、最初にできたビールの値段は1本16銭(今でいえば3,000円ほど)。庶民には手の届かない高嶺の花だった。ビールを飲む習慣もない。開拓使は当時函館で商社を営んでいたブラキストンにビールを送り品評を依頼した。「実に最高の製法」「樽詰めにして香港や上海に輸出することもできる」とブラキストンは太鼓判を押した。

「農業の大地」と「農産加工品の輸出」。130年前の北海道を舞台にした壮大な夢である。

1世紀以上の時を経て、1つ目の夢はかなった。今や北海道は農業の島である。日本の食糧自給率が40%と先進諸国で最低水準に止まる中で、北海道は181%の自給率を誇る。道民すべての消費量とほぼ同じだけの食糧を移出できる日本の食糧庫なのである。

もう1つの夢はどうだろう。国内への移出はともかく、付加価値の高い農産加工品をつくり海外に輸出するといった挑戦は、これまでほとんど見られなかった。それどころか、たとえば家畜の飼料は多くを輸入に依存し、この数年、輸入稲わらが原因とみられる口蹄疫(こうていえき)やBSE(輸入した肉骨粉なのか代用乳なのかいまだに原因が判明していない)に見舞われ大打撃を被った。

もう1つの夢は、きっと、19世紀から20世紀を飛び越えて、21世紀に“隔世遺伝”するにちがいない。

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