ウェブマガジン カムイミンタラ

2002年05月号/第110号  [ずいそう]    

19年ぶりの卒業式
渡辺 達生 (わたなべ たつお ・ 弁護士)

「国歌」という司会の言葉。その言葉から30秒余り遅れて「君が代」のテープが流された。400人余りの卒業生のうち、起立した者は6人程度。参列した父母の中で起立した者は殆どいなかった。生徒以外に20人前後が起立したが、その大半は教師だった。

私は、自分の卒業式以来、19年ぶりに母校の道立札幌南高校の卒業式に列席した。昨年の12月に札幌南高校3年生の1人の少女から、札幌弁護士会の電話相談に卒業式の「君が代」問題に関する相談を寄せられた。相談を受けた弁護士を中心に札幌弁護士会の有志4人で生徒たちの弁護団を組織した。

12月27日、弁護団と生徒たちとの初めての相談が持たれた。10人以上の生徒が集まり、「君が代」に関する思いを弁護士に投げかけてきた。各人の思いは同一ではないが、共通した思いは卒業式を「君が代」の「踏み絵」にしたくないということであった。高校3年生となれば、各人なりに「君が代」に対する考えを持っている。もし、卒業式に「君が代」が流されれば、起立する人しない人、歌う人歌わない人、退席する人しない人等、必ず「君が代」に対する意見表明が強制される。このことは「踏み絵」に他ならない。3年間の最後を飾る卒業式を「君が代」の「踏み絵」にしたくないという彼らの気持ちは、教育という観点からも大切にされなければならない。このことは弁護団の共通した認識となった。

昨年の12月、卒業式の「君が代」問題が持ち上がって以降、彼らはこの問題に精力的に取り組んだ。生徒大会に向けた準備、札幌弁護士会の人権擁護委員会に対する人権救済の申立やその為の資料整理、校長及び教師との話し合い、弁護団との打ち合わせ等々が深夜に及ぶことも度々あった。彼らは受験生だったが、受験勉強の合間にこのような作業に取り組んだ。受験という大きな壁との闘いの中で、卒業生全員を思いやり、そのために少なくない時間を割いた彼らはまさに称賛に値する。

学校側も生徒と教育委員会の板ばさみになった面があったことは否定できないであろう。しかしながら学校側の対応を見ていると、「君が代」実施という結論が先にあったと言わざるを得ない。教育改革が叫ばれて久しいが、教育現場における管理の酷さを見せつけられた。なぜ、学校側は、彼らの声に耳を傾け、議論をし、理解を得ようと努力をしなかったのか。そのことが残念でならない。生徒の自由な発想があってこそ、教育現場が活性化するのではないか。このような正論は、今の学校では否定されるしかないのであろうか。

全体で2時間弱の卒業式であったが、「君が代」を巡るほんの数分を除いてはすばらしいものだった。「踏み絵」は実施されたが、そのことで卒業式全体が壊されることはなかった。彼らが心配した最悪の事態は回避された。卒業式後の晴れやかな彼らの顔を見て、私も一安心した。

彼らとの付き合いは、私にとっても非常に勇気づけられるものであった。今の若者は捨てたものではない。

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