ウェブマガジン カムイミンタラ

2001年07月号/第105号  [ずいそう]    

若者との付き合い
金子 真土 (かねこ まこと ・ イメージワーク(株)常務取締役)

現代はデジタルとアナログが交り合う中で、人間関係もなかなか難しい時代である。そんな時代に最も考えなくてはならないことは、老若男女が同じ今という時間の中で交じり合って生きているということである。年配者たちは、若者をまるで違う生き物のように見ている。デジタル機器をいとも簡単に取り扱う若者たちは、年配者を化石人間? かのように見ている。そして、お互いに無視を決め込んでいるかに見える。私たちが若かった時代は、年配者たちから「今時の若者は……」と絶えず言われていた。しかし、その言葉の中には年配者たちの若者に対する愛情があったように思える。

私は、仕事柄多くの若者たちと付き合いがある。仕事以外の場面、例えばパソコンの世界では“トムソーヤおじさん”というPCネームで若者たちとの交遊がある。とくに、昨年からご縁があって、よさこいソーラン祭りのチームの衣装をデザインすることになり、一段と若い人たちとの交遊が増えた。私にとってたくさんの若者は、過ぎ去りし青春の私自身を見るようで実に楽しい。現代の若者たちも、私が若者であった時と基本的には変わってはいない。

その若者たちを時々、自宅に招くことがある。もちろん、私ごときの自宅には応接間などという空間はない。居間兼台所と兼づくしの家族の居場所に招くわけで、生活のそのままが見えてしまう。だから、招きいれた時から若者たちは家族の一員となる。家族ということは、いろいろ助け合う必要があるので、彼らは当然お客様として澄ましてなどいられない。ルールが存在する? わけではないが、料理は私たちで作るが、食卓の用意や食器洗いの後始末などは彼らの役割である。甥っ子や姪っ子、娘の友達や会社の者が来ても同じだ。

彼らは、素直に実に気持ちよく楽しそうに働く。働くことも我が家のメニューになっているようだ。そのうちに「壊すなよ!」、「早くテーブルを拭いて!」など。何回か来ている者は、食器の片付け場所を把握しているから、リーダーとなって片付けていく。また、挨拶が終わると、さっさと台所の妻や娘のところへ行って一緒に料理を手伝いながら、作り方を教わっている者もいる。形式ばった話があるわけではないし、広い家ではないので、どこにいても話は出来る。楽しく話しながらの食事でも、食事のマナーには少々ウルサイ私は、「箸の持ち方が悪い!」、「それは跨箸(またばし)!」「穿(ほじ)り箸(ばし)!」「涙箸(なみだばし)!」などと、いままで若者たちが聞き覚えのない言葉で厳しい注意をする。ただし笑いながら。そのうちに大皿の「料理の採り方が汚い!」など、仲間たちからもチェックが入ったり、「誰か、トイレの電気を消し忘れている!」などの声が仲間同士から飛び交うこともあり、時にはマナー論議に発展することもある。

だが、招くと彼らは、大したもてなしも出来ない我が家に喜んで来る。なぜだろう? なかには、私と40歳も年齢が離れた若者もいる。何回か聞いたことがあるが、彼らは「楽しいから!」(働かさせられるのに)、「いろんなことを教えてくれるから!」(逆に、おじさんの方が教えてもらっている)、「家の両親のように、えばらないから!」(それは正解)、「質問をしても、ちゃんと答えてくれるから」(若者の質問に答えず、はぐらかす年配者が多いとのこと)、「年齢で区別をしないから!」(これが、年配者の最も悪いところかもしれない。何年生きているかが問題ではなく、何をおこなってきたか、いま何をしているか、これから何をしようとしているかが重要なのだ)。いろいろな理由があるようだ。

若者たちが帰った後、私たち夫婦は、経験不足や、いまだ未熟な若者たちの至らなさを会話の材料にはしない。そのことをわかっているから、こんな我が家に若者たちは喜んで来てくれるのだろうか。

◎このずいそうを読んで心に感じたら、右のボタンをおしてください    ←前に戻る  ←トップへ戻る  上へ▲
リンクメッセージヘルプ

(C) 2005-2010 Rinyu Kanko All rights reserved.   http://kamuimintara.net