ウェブマガジン カムイミンタラ

2000年09月号/第100号  [ずいそう]    

ハスカップ
小川 和枝 (おがわ かずえ ・ みわ文庫主宰)

『プルーストの食事』という写真集の中に、ボヘミアンカットかなにかの繊細な蓋付きのガラスの器に入ったデザートがある。中身は3種のベリー。ストロベリー、ブルーベリー、ラズベリーをミックスして冷たくした盛り合わせなのである。みた瞬間、閃いた。さっそく庭へ出て、ストロベリー、ラズベリー、ハスカップを摘んで冷たくした。ガラスの器も真っ白くなるほど冷やして盛り合せた。まったくみごとなミックスが出来上がった。色合い、味、風味、どれをとっても満足のできる一品だった。ブルーベリーを使うより、酸味、食感の点で上ではないかと鼻高だかだった。

では、毎年そのデザートを味わっているかというと、決してそうではないのである。一度きりといってもいいほどに、この3種類のベリーを生でミックスするのはむずかしいのだ。通常、庭ではストロベリーが終わるころハスカップがみのり、ハスカップが終わるころラズベリーが熟しはじめる。どうしてその年だけ熟した3種類が同時に庭にあったのか、今もっても不思議である。摘む側としては、3種類のベリーの時期がずれていることはありがたいことだ。とくに、ハスカップは繊細で、摘むのに時間がかかる。1時間に500グラムも摘めたら、いい方である。ジャムをつくることを考えると、3種類ばらばらの時期にみのる方がいい。でも、生食で3種類をミックスして味わえる極上の喜びも捨てがたいというわけだ。冷凍すれば、なんのことはないのだけれど…。

ハスカップというベリーには、強烈な思い出がある。10歳の夏。日曜日の朝だった。生意気にも、海へ散歩に出かける習慣を持っていた私は、7月上旬の日曜日、海への道をテクテク歩いていた。いつも霧が深く漂う太平洋岸の海は、その日快晴だった。海岸へたどりつく前に、一軒の家の前で呼び止められた。その家の標札には「西東 寅松」と書かれていた。私は、その標札が「サイトウ トラマツ」と読むことを知っていた。私の苗字は「斉藤」だった。父の知人の家の前には、やさしいお姉さんがいて「お上がりなさい」といわれた。好奇心旺盛な私は大喜びで、日曜日の朝10時ごろのその家に上がり込んだ。玄関のすぐそばが畳の部屋になっていて、トトロの映画の中に出てくる円卓を取り囲んで、おじさんやらおばさんがうれしそうに何かを食べているところだった。私の前にもガラスの器に入ったものと、スプーンが出された。「さあ、召し上がれ」といわれたけれども、その時まで私は見たことも食べたこともないものだった。白砂糖がたくさんかかっている実を口の中にいれた。口じゅう、酸っぱさと甘さが混じり合った、なんともしあわせな味だった。舌はすぐ赤紫に染まってしまった。その時、その実が勇払原野に自生するハスカップであり、おじさんが早朝、霧の中を徒歩で勇払原野まで行って摘んできた貴重な実であることを聞かされなかったと思う。ただ、自分たちが季節の味を味わっている喜びの中に、通りがかりの私を招き入れてくれたという風情だった。おじさんやおばさんのうれしそうだった笑顔がいまも浮かんでくる。

ハスカップが、ぶじ人間や鳥や虫のお腹におさまると、勇払原野は一面サビタの白い花の海になる。日高線の車窓から深い霧とサビタの白い花を眺めると、私は10歳の少女の自分に戻れる。勇払原野が自分の原風景なのだなあと思う。毎年、庭でハスカップを摘むたびに「西東 寅松」さんの家の前の標札を思い出す。そして日曜日の朝、私まで招き入れてご馳走してくださったご家族のやさしさと、ハスカップを収穫してきた喜びを、つい昨日のことのように思い出す。

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